2007年01月08日

八日堂縁日

信濃国分寺八日堂

八日堂縁日 信濃国分寺は「八日堂」ともよばれ毎年1月7日・8日にかけての縁日は「八日堂縁日」として多くの参拝客でにぎわう。この縁日では除災招福を願って「蘇民将来(そみんしょうらい)」とよばれる護符が配布されている。(八日堂案内板より)

1月8日八日堂縁日へ
 戸倉駅からしなの鉄道で約25分で信濃国分寺駅に着く、駅から5分ほどで八日堂に着いた。私がこの縁日に来たのは二十数年ぶりで、当時JR時代でこの駅は無かった、やむなく車で渋滞の中を時間をかけて来た。もう記憶をかすれて曖昧だが駐車場を探すのに苦労した記憶がある。便利になったものだ。
 皆八日堂のご利益を得ようと招福だるまを買ったり蘇民将来を頂だいて大賑わいだ、私も除災開運を祈願して頂だいた。

八日堂縁日


八日堂縁日信濃国分寺八日堂蘇民将来符

天平十三年(741)聖武天皇の勅願によって国土安穏のため創建された信濃国分寺八日堂で、古来さずけているのが蘇民将来符(左写真)である。












信濃国分寺蘇民将来符のいわれ
蘇民将来という情け深い者が巨丹(こたん)長者に宿をことわられた旅人を厚く遇し、その言葉にしたがい柳の木に「蘇民将来子孫人也」と書き、これを携帯し門戸にかかげてその子々孫々が災厄をまのがれ繁栄したという説話による。
この旅人は薬師如来の化身である牛頭(ごず)天皇であって奈良時代からこの信仰が広くひろまり薬師如来や牛頭天皇をまつった各地の社寺では「蘇民将来子孫門戸也」と書いた紙札や板のお守りなどを出されたが、現在まで伝わっているのは極めて少なく信濃国分寺のものが最も著名である。
参考:「信濃国分寺案内蘇民将来符のいわれ」より

千曲市八幡東条遺跡「蘇民将来」木簡
八幡東条遺跡で出土した「蘇民将来」木簡、十三~十四世紀(鎌倉後期ー室町時代)のものとみられ、蘇民信仰の資料としては1480年に書かれたとされる信濃国分寺所蔵の古文書「牛頭天王之祭文」を上回り、県内最古と推測される。
木簡は,長さ22.7cm・幅2.8cm・厚さ1mm。文字は墨書きで、表に「蘇民将来子孫人」、裏面に「☆」と書かれている。表の「人」の後には解読できない字が二字あり、他の類例から「家也」の可能性がある。☆は陰陽道(おんみょうどう)に由来する魔よけの印で,全国的に蘇民将来の木簡に描かれていることが多いという。
木簡の上部に切れ込みのようなものがあり,厄や疫病が家や敷地に入らないよう,糸を絡めて入り口などにつるした可能性がある。
参考文:信濃毎日新聞2007/1/6 朝刊掲載より


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Posted by さだやん at 21:23│Comments(0)見聞録
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